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震災復興に関する学修を実施しました(野田村・久慈市・田野畑村)

日 時:
平成28年6月25日(土)
参加者:人文社会科学部 8名
場 所:野田村 リメンバーホープヴィレッジねま~る 野田港 農家食堂つきや
震災学習列車
内 容:最初に野田村の新しい交流施設である「ねま~る」で、野田村の職員の方から「人と人とのつながり」で地域に生み出す価値を野田村での実例や、野田村の「心はいつものだ村民」制度 ※準村民制度 など、野田村が考える地方創生についてのお話を伺いました。
その後、野田港まで移動し、ローカルブランディング成功例である荒海ホタテを見学しました。
昼食は「農家食堂つきや」で、「野田村大学」という仮想大学の学長でもある代表の方の話を聞きながらいただきました。
その後、久慈市まで移動し、三陸鉄道北リアス線の久慈駅から田野畑駅まで震災学習列車に乗り、車内で三陸鉄道の社員の方に、震災の状況などの説明をしていただきました。
参加した学生の声(抜粋):
  • (前略)研修を進める中で、私に響いた言葉がありました。それは「復興の”スピード”は大事ではない」というものです。(中略)被災地にも面積が広大だったり狭かったり、住民が多かったり少なかったり、また、基盤となる産業や復興を推進する方法もさまざまであるので、”速い、遅い”で判断すべきではないと職員さんもおっしゃっていましたが、本当にその通りであると思いました。(中略)正直言うと、今日まで被災地と私には距離があると思っていました。しかし、被災地のために何かしたいと本当に思えたし、”地方創生”という点においては、自分の故郷をもっと活性化させるために自分にできることを実行していきたいと思います。
  • (前略)震災学修列車で(中略)もし明日地震が起きると知らされたならば何をしますか?という質問に、私はしばらく考えてしまった。そこで、人は緊急事態の時にすぐにあれをすればいいと考えることができないことにそこで初めて気がついた。幼いころから避難訓練をし、習慣として緊急時の行動を身につけないと行動が出来ないことを痛感した。(後略)